ヒダマルのアニメ日記。

毎日午後8時に更新するアニメ感想ブログ。アニオタ・元保育士・隠れアスペルガーと、三拍子揃ったヒダマルがお送りします。

モーリーのメモ

他人との正義の差異は、尊重しよう。 【真面目な話】

 

 みなさま、こんにちは。
 名乗るほどのヒダマルではありません。

 

 久々の「真面目な話」です。真面目な話のネタはあるっちゃあるのですけれども、蜂の巣をつつくようなチキンレースを毎度毎度やるのも面倒なので、慎重にはなりますよねどうしても。自分の中でキッチリ固まってからじゃないと手は出さないようにしましょう、とはつねづね。

 今回は、一年ほど前に「他人との正義の差異をどう扱えばいいのか」という記事を書きましたが、その続きというか、ショート版というか。

 

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 いま読み返すとカッコつけてんなぁと……。もう少し簡略化してまとめといてもいいんじゃないかなーと思いまして。

 まずはツイートを乗せる、でもそれぞれ別件の話をしているので、各呟きに繋がりはないことはご理解ください。

 

 

 

 

 

 個人的な不快感を何の疑いもなく社会正義へ直結させる人々の感覚がまったく分からない、とまでは言わないものの、幼稚で危ないなとは思います。生きづらいだろうなとも。課題の分離しようよと。

 

 光文社新書『「ニート」って言うな!』の二部、内藤朝雄さんが書かれた部分にこうあります。

 

Aさんにとって、「このおかげで生まれてきてよかった」と思えるすばらしいものは、Bさんにとっては醜悪きわまりない。

Bさんが命がけで守ろうとしている価値は、Cさんにとってはおぞましい野蛮人の習俗である。

Cさんにとっての幸福は、Dさんにとっては退屈な牢獄以外の何ものでもない。

Dさんが「生きている」と感じるきらめきの瞬間瞬間は、Bさんにとっては底冷えするようなウソの世界である。

光文社新書 本田由紀 内藤朝雄 後藤和智 『「ニート」って言うな!』より引用 

 

 これが現実なので、BさんがAさんに唾飛ばしながらブチ切れたところで仕方ないんですよ。これはもう価値観の違い、つまり正義の違いです。しかしながらあっちこっちで起きてます。ヒダマルも起こしてるはずです。これもまた現実で人間。

 

 ただこの話題、「どこまでが個人的な不快感で、どこからが社会正義なのか」が曖昧ではあるんですよね。

 極論ですが、例えば誰かに恋人を殺害された場合「個人的には不愉快だけど、仕方あるまい」とはならないわけで。誰もが普遍的に気分を害する・損害を被ることとそうでないこと、不快であれ社会で許容すべきこととそうでないことのボーダーラインはどこだろうかと考えます。こういうのはグラデーションだろうけど。時代の善悪は社会の要請で変動するし。善悪の正体は「『都合が』善い/悪い」であって。

 

 そういう感覚はヒダマルにだってあるわけだ。人間だもの。

 

 

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 社会から滅殺すべし、とは感じるものの、それはなんだいヒダマルの超個人的な感性ってだけだったりしない?? というのは考える。立ち止まる。ヒダマルが大嫌いである点はびた一文譲らないけど。

 

 ということを考えてー、価値観の違い・正義の差異は引き続き

 

「尊重する。」

 

 でいきましょうよねお互いね、と思いましたです。視界に入れたくなければ離れるのがお互いのため。

 

 真面目な話のネタが被りすぎて、というより結論がまとまってきすぎて毎回同じような話になりがちなんですよね最近。「正義の差異を尊重する」「あなたの大切なものを、私も大切に扱う」でありとあらゆる問題が手打ちになるというか。理屈の上ではだけども。

 

 

 前に書いた真面目な話シリーズを貼っておこう、なるべく辛いやつを。ほとんどなに書いたか覚えてないんだけども。ツイートをこういう感じでまとめて残しておけるのもブログの強みだな。

 

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 あっ、「理解・共感・賛同の話」をしてないな。これ書けるな。近いうち書きますたぶん。