ヒダマルのアニメ日記。

毎日午後8時に更新するアニメ感想ブログ。アニオタ・元保育士・隠れアスペルガーと、三拍子揃ったヒダマルがお送りします。

モーリーのメモ

給付金と子どもの話。 【真面目な話】

 

 みなさま、こんにちは。
 ヒダマル(遺伝子組み換えでない)です。

 

 政府からの給付金の申請書が届いてる、という話を聞きますね。ヒダマルとしては生活に変化がないので頂戴するのはいささか憚られる面もあるのですが、このお金に関しては「求めているのはヒダマルではなく、ヒダマルが使用する相手」である点を心得ておりますので、ありがたく受け取りつつ自立への足掛かりにしようと考えています。

 

 で。

 

 

 ……世帯主による「全額オレが使う」は、場合によっては経済的DVに該当するでしょう。

 ただ、

 

「10万円の所有権・使用権を主張する10歳児」が存在することの何が問題なのか????

 

 心から疑問です。

 何が問題なんでしょう。記事内曰く、とある10歳児が「『こども六法』で学んだ知識からして、この給付金の所有権・使用権は自分にある」(意訳)と主張して親が困ってらっしゃるそうですが、その何が問題なのか????

 

 子どもをなんだと思ってるのか????

 教育をなんだと思ってるのか????

 どこがゴールだと思ってるのか????

 

 ほんっっっっとうに、不思議で疑問で。

(ちなみにヒダマルが理解する子育てのゴールは「私にはもう、あなたは必要ない」と子どもから通達され、親がそれを受け入れられることです)

(同じく教育・子育てとは『自分でやったほうが早くて確実な事柄を、敢えて相手にやらせる』です)

 

 いや、困るは困るかもしれません。10歳児にそのまんま札束渡すのはヒダマルもどうかと感じます。ひとつの選択肢ではありますが。

 コロナの影響で家計が火の車だから渡せないなどの都合もあるでしょう。今は不安定なので蓄えておきたい、養育費・教育費として使いたいなどあるでしょう。

 

 で、その都合は基本、当の10歳児の主張とは無関係なんですよね。

 

 それはあなたの都合ですよね、私の都合ではありませんよね、という。これが理解できないのなら、「全部オレが使う」と宣うDV人間と根本的には差がないよと。

  ヒダマルが尊敬する十代「れいちゃん」さんの意見がだいたいすべてを物語っています。

 

 

 

 や、まぁこれ、「ひとつの家計を助けるためのお金」として捉えるか、「ひとりひとりに10万円ずつ配るから、みんなで無駄遣いして経済回そうぜ」として捉えるかでだいぶ意味合いが違ってくるではあるんですよ。

 冒頭に挙げたツイートのリンク先を読むに、法的解釈ではどちらかと言えば前者になるようですが、しかし後者の意味合いが消滅するわけではない。

 

(そして、そうした観点を理解・吸収して意見を改める方なんですよれいちゃんは)

 

 

 家計が厳しく子に渡せないのであれば、そう納得できるだけの事情を説明してお金について教育するチャンスだし、
(こちらとか↓)

 

 

 10万円を与えられるのであれば、使い道を考えさせるチャンスだし、

 そうは言っても少なくない額を右から左へ渡せないと考えるならば同じような意味合いでチャンスだし、

「ひとりひとりに配る」の視座に立つならば仮に今すぐ渡せないにしてもそれを納得できるよう説明し「二十歳になったら利子付きで返す」ぐらい言えよだし、

 

 そういった色々を考慮せずただ「子どもに10万渡せって言われて困る」なら、

 

 

 アンタ、なにを目的として子育てしてんだ????

 

 

 ってなる。

 お金の知識って性と共に学校が教えてくれない重要情報トップ2だし、こういう時節だからこそ深く解説できる大大大チャンス到来してんじゃないんかいと。教育をやる人間なら「ぁ、来た、理解を深める入り口キタコレ!!!!」と興奮しつつ「あのね、これはね」と伝える、その努力をすべき瞬間じゃねぇのかいと。

 家計が問題ないあるいは「ひとりひとりに」の立場を取れば、たとえ馬鹿馬鹿しい無駄遣いして結果後悔しても、それは立派な消費であり立派な経験であり立派な学習の機会だろうがよと。

 

 

 考える機会も行動する機会も、それで失敗する機会も成功する機会も、奪うんじゃねぇよ、です。

 

 ま、社会不適合者の戯言でしたとさ。