評価の話。 【真面目な話】
みなさま、こんにちは。
ヒダマル綱ヒダマル目ヒダマル科ヒダマル属ヒダマルです。
「評価」について考えています。
「美人すぎる棋士」に対し「顔は関係ないだろそこ評価してくんな!」と来たら「いや、『将棋の実力の評価』と『美しさの評価』は別だよね。両立するよね。問題ないよね」とかを想定してたけど、じゃあ「不細工すぎる棋士」はどうなんだと聞かれるとまぁそりゃシンプルに罵倒か。
— ヒダマル (@hidamarirun) May 3, 2020
「ココを評価されたい人」と「ココを評価されると不愉快な人」がいて、それはもちろん問題ないとして。空気を読むしかないのか……??
— ヒダマル (@hidamarirun) May 3, 2020
「医療従事者を一方的に英雄に仕立て上げるの不愉快すぎる」という意見があってですね、これで爆発してる当事者の方も見受けられます。ヒダマルとしては「なんでそんなにも劇的な拒否反応が起こるんだろう」と思うんですが、まぁ事実いらっしゃいます。
他人への評価、特にプラスの評価を投げた際に「不愉快です」って返されたらどうすればいいんだろう……? と考えるんですよね。
とりあえず「そういうことであれば、少なくとも直接伝えることは控えよう」くらいが一般的な配慮だと思うんですが、「そう感じられること自体が不愉快」とまで来られると一線を越えてるので「そうですか」としか返せなくなる……。努力というか、模索はしてみるけど。
「評価」という言葉に内包される「上から目線で一方的に与える感」自体が不愉快である、という点も理解できるもののじゃあ他者からの「評価」あるいは「ジャッジ」の一切を拒否して社会生活営めるかいな? 当然ながら、「お互いに」?
個々人にとっての「嬉しい評価」と「不本意な評価」は事実存在していて、嬉しいものだけを与えてほしいと言ってない? それ? と。他者への期待がちょいと重く身勝手でないかな。
最近はこちらの漫画が気にとまる。
40キロ痩せてから思うこと① #コルクラボ漫画専科 pic.twitter.com/ElUfXGP0oG
— やじまり (@musclenadao) April 26, 2020
しかしながら不愉快な評価を都度拒否する権利は誰にでもあって、そういうときは控えましょうね、くらいがやっぱり現実的な落としどころかなぁとおもいます。この男もデリカシーないなと感じるし。
まぁ「中身が変わらなきゃ幸せにはなれない」という趣旨の内容なのかもだけど後半の「これだから男は」的ニュアンスに反応しちゃって勝手に引いてるだけの可能性はある(漫画への感想を読むに「おいおい」と思わざるを得ないのは別の事実)。
ヒダマルはやっぱり「無職だったら付き合ってないでしょ?」と何が違うんだろうとだけ。棚に上がらないと意見出せないのはヒダマルもそうだけど、上がってる自覚はしとこうよーとだけ。
感情ってのぁ難しいですね、以上。