引きこもりもまた、貢献できる。
みなさま、こんにちは。
うちで過ごすヒダマルです。
昨日、エガちゃんに感化されて「ヒダマルにもなんかできることないかなぁ」と考えて、急遽スタートした「うちで過ごそう。」シリーズですが、やー、連続更新してます。
一日に複数回更新するなんていつ以来だろう。なんか不思議なエンジンかかってます。無理しないようにしよう。他にもやることあるしな。
ほんっと深夜テンションの閃きで「よっしゃ始めよう!」のスタートだったんで、完全に見切り発車です。一昨日の深夜に思い立ってガーッとメモした内容を、ひとつひとつ紹介している感じです。手探り足探りです。
時代の流れによって価値観・正義は変わるもんだとは常日頃考えているものの、なんですね、じっと家に籠っている引きこもりな生活スタイルが推奨される日が来るとはちょっと予想外でした。
でもそこで、ただ単に「時代が俺に追いついたぜドヤァ!」てやるんじゃなくてですね。
丁寧に、引きこもりの技術や世界観を世に伝える時だと思うんですよ。恩返しする時なんですよ。
ヒダマルの理解する「多様性」は、「役に立たない穀潰しでも存在くらい許したろうや」ではありません。
「ある一面において足手まといや役立たずであったとしても、時と場合、人との相性、適材適所などの具合によっては、能力を発揮できる」です。ある意味で希望に溢れ、ある意味でシビアな観点だと思います。
(もちろん、それはそれとして、「居ていい」「在っていい」はより大きな前提ですけど)
だからこそ、人を一義的に、一面的に判断・断罪するのは止めようよ、と主張します。誰のためにもなってないし、自分の首も締まってるよ、と。
まぁヒダマルも完遂できてはないけども。そこはそれ人間だもの、てね。嫌いは嫌いで留めとけって話です。そこに整合性、ましてや正当性を後付けすると面倒な波及が起こる。難しいな。
……なんの話だっけ…………。
ぁそうだ、どんな人間であれ貢献のチャンスはあるぞ、でした。
貢献のチャンスは同時に「お金を稼ぐチャンス」でもあるので(こういうこと言うとまた嫌われるんだろうよはいはい!)(お金がいらないならヒダマルにくれよーだ! ベーだ!)、センサーは搭載しとくといいと思います。これもまた、お家で過ごす時間で磨くべき技術かもしれません。偉そうなこと言えんなぁここは……。
ま、ヒダマルは引き続き、ヒダマルにできることをやっていきます。引きこもりのプロの技術を垂れ流すぜぃ……!
次の更新の準備をしつつ~、みんなで叫ぼうStayHome!!