生死の話。
みなさま、こんにちは。
いつからヒダマルだと錯覚していた?
今日はそういう気分なので書きますが、なかなかに重い話です。
といっても特に鬱々としてるわけでもなく平常運行。つまりヒダマルは底流としてだいたいこんなこと感じてるだけです。デフォルトです。
人生・死生観について、常々疑問に思っている問題というか議題、がありまして。
「僕らはみんな生きている、生きているから楽しいんだ」
— ヒダマル (@hidamarirun) December 25, 2019
「我々はみな死ぬ、だから我々はみな不幸だ」
論理の強度・普遍性は後者に分がある気がする。
(べつに反出生主義者じゃないけど)
斜に構えた視線でニヒルなペシミズムをいじくりつつではなくて、素直に疑問です。まぁ希死念慮からかもだけど。
自ら望んで生まれてきた人間はこの世に一人として存在せず、命を与えられたと同時に「死を押し付けられた」形の生命は、果たして幸か、不幸か?
「人生一度切りだから、やりたいことをやるべき」といった前向きな主張には前提として「人生は素晴らしいものだ」という理解があるが、それは何故か? その姿勢は何処から来ているのか? 万人に共通する感覚なのか?
いや、例えば学校の授業でこんな問いが立てられたらさ、「生きていることに意味がある」だの「死んだら友達と遊べなくなる、それは哀しい」だのという答えがマルじゃないですか。「道徳ごっこ」じゃないですか。人生への肯定は下地として大事かもしれないけど。
でも、誰にはばかるわけでもなく、素直に考えてみると、どうなんでしょう。これ。みなさんなんて考えて、なんて答えるのか、気になります。すごく。
まぁ結局のところ何処に立って何方を見るか、というだけな話の気もしますが。幸福へ向かう不安に耐えるよりは不幸に甘んじるほうが安心安全だったりするし。
同じく素直な問いシリーズでは
ブルーシートってなんで青いんだろう。
— ヒダマル (@hidamarirun) December 24, 2019
なんてのもあるので、よければお好きなほうを選んで思考遊戯のお供にしていただけたらとおもいます。