人間関係上で頻発する問題は、本人にも原因があるのかもしれない。
「悪い」って意味じゃないですよ。必ずしも。
「原因」という言葉・要素、それ自体は悪ではありません。悪いのは悪いひとです。ここ大事。
ただ、この間、「自作小説のイラストを絵師さんに頼むと、いつもいつも暗い表情のキャラが描かれてしまう」という愚痴を目にしまして。
今は消されてますけど、お絵描きする方はチラッとでも噂に触れたんじゃないでしょうか。
当該記事の方は、「どうしていつもこうなってしまうのか」と悩まれていたんですが、第三者の目からすると「や、常になるべくしてなってる……」という感想だったんですね。
で、思ったんですけど。
「こういう人が多くて困る!」といつも叫んでる人って、それ、もしかすると、ご本人に原因があるケースも考えられるのでは……????
第三者から見ると、
「そりゃ~、そういう立ち居振る舞いしてたらそんな人ばっかり集まるでしょうよぅ……」
ってことになってる可能性はないだろうか?
ヒダマル、不思議なことがあるんです。
「いじめられる人と、いじめられない人の違いは何か?」です。「怪しいアカウントから怪しいDMが来る人と、来ない人の違いは何か?」もです。
要するに「ある特定の事象に遭遇しがちな人とそうでない人は、一体何が違うのだろう」という疑問があるんです。
ヒダマルは幸いなことに、いじめられた経験はないんですよ。身長低いしモヤシっ子だし友人の中でも貧乏な方だしと、餌食になりそうな要素は多かったと思うんですけど。ないんですね、不思議と。
でも一方で、「どこへ行ってもいじめられる」みたいな話も聞き及びますし。この差ってなんなんだ? と。
もしかしたら、もしかするとですが、ひとつの可能性の話でありフィクションであり実際の事件・人物・場所とは一切関係がないのですが、
「どんな場所に所属してもいじめられる」
という人は、もしかすると、多くの相手を「ィィィイライライライライラァァァア!!!!」とさせてしまう言動を選んでしまっているのではないか?
もちろん、だからといって犯罪被害に遭って良い道理はありませんよ? 非難するつもりも皆無ですよ?
でも、可能性、は考えられないだろうか?
だとすれば、もしもそうなのだとすれば、『対策』が打てるのではないだろうか?
「こんな人が多くて困る」という問題を、少しでも解決に向かわせることができるのではないか?
考察してみる意義は、大いにあるのではなかろうか?
人間関係上で頻発する問題は、本人にも原因があるのかもしれない。
ということを、考えたヒダマルでしたとさ。おしまい。