ファン小説な話。 その4【仮面の奥の白衣ちゃん】
その1
「ふ、ふふふ……、ですぅ……」
新しい陽を浴びながら、ヴェネチアはサンマルゲリータ広場に佇む、一人の少女がいました。
うっすらと青い長髪をふたつ結びにして、頭の真ん中には大きな黒いリボンを付けています。それほど高くない背丈に、膝下まで届く清潔な白衣を羽織っており、白くゆらゆら揺れていました。
何より目立つのは、仮面でした。
顔面を丸く覆う面に、ゴーグルのようなグラスが付いていて、口元はカラスの嘴にも似て湾曲しながら突き出しています。
かつてヨーロッパ全土に猛威を振るった流行り病、ペスト。その対処に特化したと伝えられる、「ペスト医師」の仮面でした。
観光客で賑わう水の都・ヴェネチアの爽やかな朝日を一身に受ける少女は、
「見える……、見えるですぅ……。ペスト医師の高給欲しさに……、技術も誠意もないモグリ共が自他の危険を顧みず……、感染拡大の泥沼へ飛び込む当時の光景が……、ですぅ……。恐慌においても我欲を貫き……、暗愚な煩悩に身をやつす……、これこそが人間の野生……、そして悪辣たる性……、ですぅ……」
混沌としたナニカを幻視(み)ているのでした。常人が目にすると魂が汚れる感じでした。
本能で悟っているのでしょう、周囲の観光客は彼女と決して関わり合いにならないよう、十分な距離を取っていました。
彼女は、『落ちこぼれ神社』メンバーのひとり。みんなでイタリア旅行に赴き、台本通りの演技をこなしたあとのヴェネチア観光中なのでした。
そう、これはファン小説『負け犬の奇妙な冒険 第五部・黄金の風』の正統なる続編です。後日談にスピンオフ、お好きにお呼びくださいませ。
とそこへ、駆け寄ってくるポニーテールの女の子。
「ね、次はヴェネチアングラスを観に行こうよっ」
「ははは……、ですぅ。たかがネズミ共に翻弄される……、人間の愚かしさったらないですぅ……。人がゴミのようですぅ……」
「戻ってきて白衣ちゃん!?」
白衣ちゃんと呼ばれた少女は「念願の「ペスト医師の仮面」……、悪夢の時代を象徴する闇のアイテム……、ですぅ……」とかなんとかぶつぶつ呟いていたものの、ポニーテールちゃんの決死の呼びかけによって我に返りました。
仮面を外すと、白衣と同じ色の眼帯を左目につけた、無感情な素顔が現れました。
「邪魔するな……、ですぅ。姉といえども……、怒るですぅ……」
「ペスト医師が大好きなのは分かったから……。被ってていいから、早く工房にお邪魔しようよ」
「没頭できないから……、駄目だな……、ですぅ」
「没頭?」
「この……、「ペスト医師の仮面」を装着することで……、当時の社会の歪みと……、地獄絵図の惨状に……、思いを馳せていたですぅ……。これを愉悦と呼ばず……、何と呼ぶ……、ですぅ……」
「わざわざそれを愉悦と呼ばなくても他に呼べるもの沢山あると思うよお姉ちゃんは!?」
ぼそぼそ喋るくぐもった声と掛け合いを続けた姉ちゃんは、なんとか相方の説得に成功したようです。
「仕方ない……、ですぅ。付き合ってやる……、ですぅ。工房とやらは……、どこだ……、ですぅ」
姉ちゃんは、ま~たまたそんなこと言って白衣ちゃんったらほんとは優しいんだからお姉ちゃん知ってるんだぞっ☆的スマイルと共にポニーテールを振り、白衣ちゃんへ手を差し伸べました。
この春から一人暮らしを始めて我知らず母性に飢えている男子大学生ならイチコロであろう笑顔を向けられても一ミクロンも変化しない表情で、その手を取ろうとした白衣ちゃんでしたが、
かっくん。
となりました。
突っ張った白衣に邪魔されて、前へ進めませんでした。白衣ちゃんが、くるりと後ろを振り返ると、
「おいしゃのおねえちゃん……」
女の子。
大きくてうるうるした、上目遣いのどんぐり眼で、白衣ちゃんを見上げています。年齢は、10歳に届くか届かないかといったところ。服はぼろぼろで髪が短く、存在感の薄い女の子でした。
「姉。こいつを……、どうにかする……、ですぅ。こういう状況は……、姉の十八番ですぅ……。今こそ、姉の姉たる所以を……、魅せつけてやれ……、ですぅ」
即座に押し付けようとする白衣ちゃん。我関せずとはこのことです。
しかし、
「本当にだいじょうぶ、白衣ちゃん?」
「…………ですぅ」
白衣ちゃんは、心配している姉の顔をしばらく見つめて、隣の上目遣いっ子に視線を向けて、また姉ちゃんに目を戻しました。
そして、
「姉、私は……、ヤボ用ができた……、ですぅ。悪いがヴェネチアングラスは……、ひとりで見に行くですぅ……」
「え~~!? せっかくだからデートしようよ白衣ちゃ~ん!」
春休みの短期バイトで小銭が入った男子高校生なら脊椎反射で首を縦に振るであろう無邪気なおねだりを受けてもやはり一ミクロンたりと動かない鉄面皮で、
「後で、私も……、向かうですぅ……。じゃあな……、ですぅ」
ひらりと白衣を翻し、広場をすたすた歩き始めました。
左手に、ちいさな手を握って。
その2
「さて……、ですぅ。お前は……、私に何を期待している……、ですぅ」
「あ、あのね。わたしね……」
仮面を外し、そのへんの石ころを眺めるが如く投げやりな視線を降ろす白衣ちゃんと、小動物を思わせるうるうるお目めから今にも涙をこぼしそうな女の子が、人気のない水路の脇で言葉を交わしています。
「みんなのところに、いきたいの……」
「では行くがいいですぅ。誰も止めないですぅあばよですぅ……」
鬼畜の所業をあっさり成してみせる白衣ちゃんでしたが、またしても裾をつかまれ引き留められました。舌打ちが響きました。
「みんなのところにいかなきゃ、ひとりじゃさびしいの……っ。ねぇ、つれてって……。おいしゃのおねえちゃん……」
「知らんがな……、ですぅ。私には……、関わり合いのないこと……、ですぅ。そもそも……、私は医者じゃねぇ……、ですぅ……」
白衣の裾をめぐる醜い争いがしばし続きましたが、根負けした白衣ちゃんはとりあえず、女の子と同行することを了承しました。舌打ちが響きました。十七回目でした。
「ありがとう、おいしゃのおねえちゃん……」
「めそめそ泣くなですぅ……。鬱陶しいですぅ……。お前……、そうだ、名前を教えろ……、ですぅ」
「おぼえてないの……」
「……………………。犬のおまわりさんなら……、あのボケナスの役どころですぅ……」
被りなおした仮面の奥で、十八回目のそれが鳴りました。
その3
サン・ミケーレ島。
女の子の目的地は、島ひとつがまるごと墓地として利用されている土地でした。500年以上の歴史を持つサン・ミケーレ・イン・イソラ教会を中心に、様々な形式の墓地が広がっています。
「みんな……、とやらと、一緒になって……。どうするつもりだ……、ですぅ」
女の子の手を引いて、仮面の白衣ちゃんが歩いていました。
「みんなといれば……。もう、さびしくないから……」
うつむいて、足元の草をふみふみ、女の子が呟きます。
そこは島で最も古い墓地で、風化して朽ちた石板には、かつて誰かの名前だったくぼみが不規則に刻まれていました。花の彩はありませんでした。
「ふん……、ですぅ」
荒れがちな墓場の中、うっそうとした樹木や、何世代前から放置されているか分からない雑草が生い茂っています。陽光の射す代わり、同じ理だけの暗い影を、空間に落としていました。
その影の中に、
「で……?」
「これが、お前の言う……、「みんな」か……? ですぅ……」
もう一回り暗いカゲが、蠢いていました。
人の形をした黒が、いくつもいくつも重なって、ふたりの周りを囲んでいました。唯一空いた両目はすべて、女の子へと向けられていました。
「墓の古さからして、おそらく……、流行り病の暗黒時代に死んでいった、ペスト患者……、ですぅ。お前を取り込もうと……、手ぐすね引いてやがる……、ですぅ」
女の子は言葉を失い、震える両手で、白衣ちゃんにくっついています。
「お前は、私を……、ペスト医師だと思って、救いを求めたが……、ですぅ。こいつらは、逆ですぅ……。自分の未来はとっくに諦めて……、他人を陥れることしか、頭にない……、掛け値なしの悪霊共ですぅ……」
もぞり、と蠢いたカゲのひとつが腕を上げ、近寄ってきます。
「お前が、決めろ……、ですぅ」
白衣ちゃんは、仮面の向こうから、女の子を見降ろしました。
「あいつらと……、お前の言う「みんな」と同じ場所へ向かうか……、違う道を探すのか……、ですぅ」
「わ、わたし、は……。だって……っ」
白衣の裾をしわくちゃにしながら、怯える女の子が口を開きます。
「ひとりじゃ、もう、だめなの……。さびしいの……っ」
「で? ……ですぅ」
どす黒く染まった指が、女の子の頭に触れようとしています。
「でも……っ、みんなはこわい……っ」
「だから? ……ですぅ」
「……だからっ」
「おかあさんのところに、いきたい……っ!」
「じゃあ、」
「テメェ等は……、お呼びじゃないですぅ」
殺意。
死せぬ亡者をなお圧倒する、静かな気迫をむき出しにして。
ペスト医師の仮面をずらし、赤い炎を宿した隻眼を露わにしました。右手にはどこからともなく大型ナイフが現れ、慣れた手つきで構えられていました。
そして左手には、体温のないちいさな手が、包まれていました。
「このロリコン共が……、ですぅ。たかだか悪霊如きが、この白衣に喧嘩を売って……、ただですむと思うな……、ですぅ……」
「お、おいしゃのおねえちゃん……」
「何度も言わせるな……、ですぅ。お前は端から……、勘違いしてる……、ですぅ。私は医者じゃねぇ……、この仮面はただの……、あれですぅ……、コスプレですぅ……」
「こすぷれってなに……?」
「……。Loserの趣味に……、毒されちまったか……? ですぅ……」
ひりひりとした気迫を放出し、ごんぶとなナイフを弄びながら、呑気な会話を繰り広げる白衣ちゃん。
一瞬だけ怯んだ亡者たちは、わらわら蠢きながら、再びふたりへ襲い掛かる機を窺っている様子です。
「とは言ったものの……、ですぅ。私も……、死んだ奴を殺ったことはないですぅ……。こいつら、どうやったら……、始末できるですぅ……?」
まるで生きた誰かさんなら手にかけた経験があるかのような言い回しでしたが、白衣ちゃんの過去を詮索する者はいません。
「ま、とりあえず……、ですぅ。私から離れるな……、ですぅ」
女の子は、白衣ちゃんの腰にしっかりしがみつきました。悪霊の群れはじりじりと接近し、闇に染まった腕を伸ばしてきます。研ぎ澄まされたナイフが、赤い瞳を映して煌めきます。
戦闘が始まろうとする、正にその瞬間でした。
ず…………、ぉおう。
強烈な闇の気配が、ヴェネチアの中心部から爆発し、辺り一面に吹きすさびました。
大気と樹木を揺るがし、枝をへし折り、葉と砂と海水を撒き散らしながら、墓地をも飲み込む暗黒の波が襲いかかりました。
「こいつは……、ですぅ……」
ツインテールをなびかせ、白衣の中で女の子を守りながら、白衣ちゃんがつぶやきます。周囲の悪霊は、己よりも強い波動を受け、苦しんでいる様子でした。
「今のうちだ、来い……、ですぅ……」
ちいさな存在を、体温も重さも感じさせない女の子を抱えて、白い人影が駆け抜けます。暗黒の奔流が収まったころには、墓地には生きた人の気配も、死んだ人の気配もなくなっていました。
その4
教会の前、海の音が聞こえる場所まで辿り着いたふたりは、並んで街を眺めていました。女の子はうずくまって、膝を抱えています。
「さびしかったから……、みんなのところにいけば、もうだいじょうぶだって……、おもって……」
「……ですぅ。まぁ、ろくでもない奴らと群れるより……、孤独でいた方が、億倍マシだな……、ですぅ」
慰めるでもなく、独り言のように口にするそれは、白衣ちゃんなりの優しさだったかもしれません。
しばらく泣いていた女の子は、ごしごし涙を拭いて、すっくと立ちあがると、
「みんなじゃなくて、わたし……、わたしのほんとうにいきたいところを、かんがえて、みる……。おかあさんは、きっとてんごくにいる……! そうだよね、はくいのおねえちゃん!」
「知るかですぅ」
「!?」
白衣ちゃんはいつでも白衣ちゃんでした。
「他人に期待するんじゃねぇ……、ですぅ。反吐が出る……、ですぅ。そうそう簡単に……、答えがもらえると思うなよ……、ですぅ。ペストの地獄で……、何を学んだやら……、ですぅ。これだから……、餓鬼は嫌い……、ですぅ。親の顔が見たい……、ですぅ」
ぷるぷるとした涙目を取り戻しつつある女の子へ、耳を疑う暴言をまくしたてる白衣ちゃんでしたが、
「ただ……、ひとつだけ言っておく……、ですぅ」
同じ調子で、唇だけを動かして。
「500年以上……、ひとりで彷徨い続けて……、それでも、潰れなかったお前は……、誰よりも強い……、ですぅ。その強さがあれば……、死んでようが、生きてようが……、関係ない……、ですぅ。人間なんざ……、そんなもん……、ですぅ……」
ただの真実、是非もなし。
偽善も偽悪も織り込まず、頼るは己の意志ひとつ、嘘偽りない想いの塊をまるごと。女の子へ伝えました。
女の子は、途中まではさっきの悪霊のときより怯えていましたが、
「……うん!」
おおきく頷いて、
「じぶんでがんばる。じぶんで……、おかあさんといっしょのところに、いってみせる! みつけてみせる!」
強い笑顔で、そう言い切りました。
「おうがんばれ……、ですぅ。分かったら……、さっさと行け……、ですぅ」
ひらひら手を振って、面倒そうに肩をすくませる白衣ちゃん。
彼女の前で、女の子はゆっくりと輪郭を溶かし、笑顔を水路の煌めきに混ぜ、水の都の空へと姿を消してゆきました。
「アリーヴェデルチ……、ですぅ。……まぁ、」
残された白衣ちゃんは長いため息を吐くと、仕切り直しとばかりにペスト医師へ変身し、ヴェネチアの太陽へ顎を上げながら、
「姉、と呼ばれるのも……、たまには悪くない……、ですぅ」
仮面の奥でぽつり、呟いたのでした。
あとがき。
みなさま、こんにちは。
『落ちこぼれ神社』の大ファン、ヒダマルです。
久々にやってしまいました、「ファン小説な話」です。
かのブログには5人ものお手伝いさんが在中していますが、今回の主人公はなんとビックリ白衣ちゃん。
彼女が主役のお話がある日ある時すとーんと降りてきて、勢いで書き上げた小説です。「…」多すぎます。
「でしたました調」の小説、初めて書いたっけな。どうだろ。
こういうさ、めっちゃ強くて人間味のないキャラに懐いて付いていく子どもってシチュエーションありますよね超萌えますよね。なんでも「ボスロリ」と呼ぶらしいですよ。
ていうかびみょうに百合小説? でもありますから、この場合「おねロリ」も含みますよね。
それと、白衣ちゃんの鬼畜っぷりは書いててとても痛快でした。
「いやそんなこと言わんだろ普通」という常識というか良識というか、人間として超えちゃいけないボーダーラインを易々と飛び越えていくんですね。
そもそも、彼女だけはブログのお手伝いしてませんからね。働いたら負けかなと思ってるみたいですしカリフォルニアロール。
(原形は留めような?)
悪霊たちを退けた謎の暗黒波も絡めて、各メンバーのヴェネチア観光話も作れたらいいなぁ。前回アリーヴェデルチされた負け犬さんの安否も心配だしなぁ。
※負け犬さん、ありがとうございました!
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