地元な話。 その4【旧伊藤伝右衛門邸・門構え編】
みなさま、こんにちは。
今日も元気にヒダマルです。
前に予告しておいた「地元な話。」の大型企画、【旧伊藤伝右衛門邸】シリーズが始まりますよ。
福岡の有名観光地のひとつを、複数回に分けてじっくりご紹介しようと思います。
市が指定する有形文化財であり、国には名勝指定されている、それはもうゴージャスな場所です。
明治~昭和の時代を駆け抜けた炭鉱王、その富が生んだ壮大な屋敷と景観、そして歌人・柳原白蓮との恋模様……、
……これ、ヒダマルにまとめられるかな…………。
出発と到着。
さぁ、レッツお散歩。
金欠かつ健脚なヒダマルの移動手段は徒歩オンリーですからね、どこまでも歩いて行きますとも。
最初に目指すのは、ここ。
福岡は筑豊、飯塚は幸袋、その交差点。
旧伊藤伝右衛門邸への目印であり、伊藤伝右衛門さんが生まれた土地でもあります。景気の良い名前ですよね、幸袋。
ところでヒダマルは地図を持っておらず、下調べも特にしてないので、ここからアタリを付けて周辺を捜索し、旧伊藤伝右衛門邸を探し出す必要があります。
土地勘だけが頼りだぜ。
軽く散策してみると、
怪しい壁を発見。
ここは「しらべる」コマンドを使いましょう。
右を見てー、
左を見てー、
お金持ちの匂いがします。
目的地はココに違いないので、入り口を探しましょう。ぐるっと回り込みます。
すると……、
oh、ゴメンナサイ。
ぎゅんぎゅん歩いてたから怒られました。ちょっとスピードを落とします。
「郷に入っては郷に従え」といいますし、ここはおとなしく止まっておきましょう。
(こういうの、勝手に書いていいのかな……)
雑なローカルルールに従いつつ探索を続けていると、再び壁面が見えてきました。
相変わらず、やたら高くて長いです。
そして……、
奥へ進むと……、
どーん。
どどーん。
立派過ぎる門構えが登場。
貧乏人を寄せ付けない風格を放っています。そこいらの神社仏閣より壮大て。
えっと、ここってヒダマルみたいな社会不適合者が入っていい場所なのかな……?
大丈夫かな、こんな↓感じになんないかな……。
門前のヒダマル。
ちょっと不安なので、門前で時間稼ぎします。
そうだ、まだこの「旧伊藤伝右衛門邸」の特徴を詳しく説明してませんでしたっけ。
筑豊に住む人間なら立て板に水で解説できるので、先に軽くお伝えしておきましょうかね。
なんて親切な看板でしょう。
正直ヒダマル、ひとの人生にほとんど興味がないので、白蓮さんや伝右衛門さんのことをそんなに詳しく知りません。パンフレットに載ってる情報くらい。
ただ、恋模様に関してはなかなかドラマチックで面白いので、後々取り上げようと思います。
隣には、邸宅の地図。
お金持ちの匂いをかぎ取ったのは、左上の角だったみたいです。
実は冒頭の「幸袋交差点」から右折すればここに来れてたっぽいので、だいぶ遠回りしましたね。
ヒダマルは人生これ回り道なので、この程度なれっこですけど。
内閣総理大臣時代の麻生太郎氏による揮毫。
ま、「筑豊のお金持ち」といったら麻生グループか伝右衛門さんですからね(ヒダマル調べ)。
でも、麻生さんで思い出すのが例のアレシリーズだけど、大丈夫か、漢字まちがえてないか……?(失礼)
まとめ。
次回へ続きます。
相変わらずの冗長な文章のせいで、まだ玄関先にすら辿り着いていませんが、続くったら続きます。
でも、内部の様子を一切見せずに引っ張るのも、なんか忍びないですね。いちまいだけ、のっけておきますかね。
とりあえず、
玄関が八畳あります。
地元な話。 その9【旧伊藤伝右衛門邸・二階座敷/白蓮居間編】