ヒダマルのアニメ日記。

毎日午後8時に更新するアニメ感想ブログ。アニオタ・元保育士・隠れアスペルガーと、三拍子揃ったヒダマルがお送りします。

モーリーのメモ

アンニュイな話。 【毒注意】


 みなさま、こんにちは。
 とか言ってる場合じゃねぇヒダマルです。


 今回は毒です。

 ただの毒で、あるいは愚痴です。


 といっても、他人を非難したり攻撃したりするタイプの毒ではなく、ヒダマルのみを内側から蝕むヤツなのでご安心ください。

 いやまぁ、読めば感染するかもですが。
 そこはほら、自己責任で。


 自己責任ねぇ。

 

 

 

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 ブログをはじめ、ネットには色んなひとがいます。
 といっても、「ネットの中にいるひと」しかいないのは意識しとくべきですが。


 元気なひととか、子育て中のひととか、下ネタ連発なひととか、仕事が忙しいひととか、走ってるひととか、体調不良のひととか、写真が上手なひととか、オタクなひととか、世界旅行してるひととか、台風で困ってるひととか、絵が上手なひととか、ひねくれてるひととか、グルメなひととか、ユーモアセンス抜群のひととか、筋トレしてるひととか、まぁエトセトラです。

 

 

 で、中には、精神的に参っているひともいます。


 自分を殺したい、というひともいます。


 ヒダマルは否定しません。

 絶対に否定しません。

 気持ちが分かるから。

 

 

「生きてればいいことあるよ!」

 

 とか言いません、言えません。

 余談ですが、ヒダマルの生きる理由は「とりあえず」です。

 

 


 でも、なにか……。

 力になりたい。

 同じような境遇にあった人間として、どうにかこうにか、言葉を絞り出して、なにか、つたえて、勇気になりたい。

 

 

 で。


 まて。

 まてまて、となる。

 

 

 

 

 


 ヒダマルはラッキーなんですよ。

 

 親は超いい人たちで、毒親でもなく、虐待されたわけでもなく、今だって穀潰しを養ってくれてて。

 兄弟関係もサッパリしてて、ふつうに喧嘩とかしてきた感じ。甥っ子ちゃんかわいい。

 成育歴に何の文句もないかというと嘘になりますけど、その程度の軽さで語れることがもう、恵まれてきたってことの証左です。


 大失恋はしたけど、それだってひとつの経験じゃないですか。

 失恋できるだけ恵まれてるとも言えますし。

 

 


 で、いま現在は?

 

 働いてないけど、ブログを楽しんでて、毎日アニメみてそれを記事にして、人とつながって?

 文章作りの技術があって、蓄えてきた知識があって?

 絵もけっこう得意なほうで、自分の特性を知ってて、それを生かした方向で社会への貢献方法を模索してて?

 コミュ障とか自称しつつレジでふつうに会話できる程度には社会性も備えて?

 保育士資格もってるから、いざとなったら働きにも出れて?(そんなつもり毛頭ないけど)


 希死念慮もち、とかいいながら、最近はけっこう生きるの楽しくて、「生きててよかったのかもしれないけど、生まれてきてよかったとは思わんなぁ」って、その程度で?

 

 

 ラッキーなんですよ。

 

 

 

 そういう人間が、なにを語れる?

 なにを伝えられる?

 どうやって力になれる?

 

 


 いや、いやいや待て。

 他人にできることを大きく見積もるな。

 自分ではないほかのひとだ。
 何がどう伝わったって、それは相手の課題だ。

 

 

 でも。

「私にはなんの才能もない」というひとに、何が言える?

「毒親がつらい」というひとに、何を言える?


 ラッキーなだけで安全地帯にいるやつが?

 

 あああ、はい、ヒダマルは努力してきたからですよ、その結果ですよ、という理論は分かります。それはそれで事実です。

 でも、努力ができない人間だっているんですよ。
 自分の強みを知りようがない人間だっているんですよ。

 

 そんなひとに、ヒダマルが、なにを?

 

 

 いままで、知った風な顔でぺらぺらコメントしてきたけど、いや、そのひとたちには貢献できたと信じたいけど、いま考えると、

 いいや、今となっては、


 おまえがいうな、


 じゃん?

 

 

 


 ヒダマルは、たぶん、両方の気持ちが分かるひとです。


 ポジティブで希望に溢れて、社交性があって、才能があって努力ができて、計画と行動と反省ができて、それなりに人生を謳歌してるひとと。

 ネガティブで絶望に満ちて、どうあがいたって人間なんかと関われなくて、どうにかこうにか日々を生きてるひとと。


 人格の基本的な土台はしっかりしてる一方、後半でぐだぐだと転がってきた人生なので、どっちの感覚も理解できます。

 ポジティブや秀才に針が振れ過ぎると、ちょっと理解し辛いですが。

 

 


 だから、互いの意見や考え方、物事への認知の違い、予想される議論、反論、わかるんです。


 自己肯定感の高め方、その技術も、

 希死念慮や人間関係の絶望感、その寄る辺なさも、理解できるんです。

 

 でも、どうしても、正論のほうが強い。

 前向きな意見のほうが、強い。

 真実としてではなく、幸福として、正義として、強い。

 

 強さは悪ではないけど。

 弱さも悪ではないわけで。

 

 

 ちょっと元気になったヒダマルが、ただラッキーで能天気なヒダマルが、そんな力強い正論で、「死にたい」を遠回りに否定してしまうんじゃないかと考えると、こわい。

 

 

 両親が離婚した時の傷が、いつのまにかなくなっているように。


「死にたい」の気持ちをそのうち忘れてしまうんじゃないかとおもうと、こわい。

 

 

 


「生きてればいいことあるよ!」

 

「だってヒダマルがそうだったから!」


 とか。

 いやだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 という与太話を書き留めておこうと思っただけなので、聞き流しといてください。

 べつに元気がないわけでも、鬱ってるわけでもありませんので。


 心肺ゴム用です。
(この通り)

 

 まぁアドレリアンのはしくれなら、相手を想って言いたいことを言えばいいじゃんってだけの話ではあるんですけどね。

 それこそポイズンなんつってね(そう、この通り)。 

 

 この駄文だってまぁ、人によっては毒でしょうし。でも、それはヒダマルが責任持てる部分じゃないし。

 

 で、冒頭の自己責任、ってのもね。

 

 強い言葉ですよね。