擬人化と物語化の話。
みなさま、こんにちは。
ぼくが かんがえた さいきょうの ひだまるです。
ネタがない。
うん、ネタがないな。今日は。ほーんと。ネタがないよ。ビックリするくらいないよ。驚天動地だよ。天が驚き地は動くよ。地はいつも動いてるけど。
それにしてもですね、地面ってね、
「大陸プレートが動いて摩擦が起きて熱が出てズレたりなんたりでたま~に地震とかも発生するよっ☆」
嘘つけ。
いや嘘じゃないんだろうけれどもそこは頭のいい学者さんたちがうまいことやってるんだろうけど(頭の悪さを隠さないスタイル)、ヒダマルこれ俄かに信じがたいですよ今でも。なにそのファンタジー? 現実のロマンいかほど?
雨とかもそうで、「水が目に見えないくらい小さくなって宙に浮いて空へ昇って集まって大きくなったらまた落ちてくるんだよっ☆」
嘘つけ。
っておもうもん。
ゲシュタルトの任意崩壊ってんですか、同化と調整の一歩手前ってんですか、そういうこう、通常の観念をとっぱらって改めて受け止めるに「嘘つけ。」ってなるレベルの不可思議が溢れてますよこの世には。
こういう諸々を説明するために生まれたのが民話であり神話であり宗教なんだろうと捉えてます。宗教の役目は「人生の指針」と「世界の説明」ですが、後者ですね。
この世界は不思議すぎる、とらえどころがない、こんなにも複雑な自然は何者かが創り操っているにちがいない、そういったイマジネーションが生んだもの。
理解できれば恐怖が薄れる、畏敬の念は拠り所になる、彼ら彼女らに取り入れば操作すら可能ではないか、あわよくばあわよくば……、とか。
つまり神様とは「自然現象の擬人化」、神話とは「ソシャゲ」であると仮定できます。(話飛んだな)
萌えキャラ嫌いとか言ってるひとよ、人類が人類として自然科学を真っ向から相手にしてきた壮大な歴史、その源流は何を隠そう「擬人化」「物語化」なのですよ。ちょうむかしの人たちもやってたんだよ。
土偶とかさ、明らかにあれ「当時の美少女フィギュア」だもん。ありえないくらい強調されてるもん色々と。
一緒に墓に入る相手がいない弥生人が「俺が死んだら嫁(土偶)と埋葬してほしい」って遺言を残した結果が「土偶がいっぱい出てくるお墓」の正体ですって。王様とかそうじゃんハーレムじゃん。
兵馬俑とかもさ、「ちょ、これすっげこれ! すっげぇ!」って言いながら鼻息荒く作ってたと思いますよ。それを見た王様も「っしゃ最強! 黄泉行っても無敵だわ!」て。
案外こう、子どもっぽいというか、オタクっぽいノリがないと、ああいうモノって作れない・残せないと思うんですよね。割と真面目に。
少なくとも、擬人化と物語化による世界の把握・翻訳に安堵や興奮を覚える心の動きはもとより人間に備わっている特性なので、それらを否定せんというムーブメントは馬鹿馬鹿しいと思ってますよヒダマルは。
お尻の大きい土偶を見てなんやかや反対してた人もいたりするのかも、と想像たくましくしてみるにあるいは、「最近の若者は~」的な論調と同じく脈々と受け継がれ続ける、人類のお家芸でもあるのかもしれません。
(「最近の若者は~」で始まる一文は、ピラミッドの壁とかに刻まれてます)
はい。
ネタが無いから書き散らした、ヒダマルの頭の中でした。社会不適合者は日々こんなこと考えているんですね。案の定ですね。
いやまぁネタはあるんですが気がのらなくて。怠け者でもあるんですね。所以が見えますね。
ではまた!