日記な話。 2019.01.15
みなさま、こんにちは。
てれてれ坊主なヒダマルです。
今年初の「日記な話。」、話題は昨日の記事。
そう、2019年の新企画「ポエムな話」。
今日はその照れ隠しだ。
駄文中の駄文になる予感だ。
詩の話。
昨日の「ポエムな話。」で、ヒダマル初の詩を発表してみたわけでありますが。
んー。
なんというか。
ヒダマルが詩を書くと、なんかこう……、論理的になる。
んです。
構成に重きを置きがちになる。
んですよ。
こうしてこうしてああしてああして、準備万端整えて、最後のレトリックでひっくり返す、みたいなダイナミズム・カタルシスを考えてしまう。
どうしても、「小説」という枠組みでしか文を理解できないというか。エンターテインメントを用意してしまう。
ヒダマルの想像するというか、嫉妬する詩ってもっとこう、頭で考えるんではなく。
心の深い所からふわふわぐつぐつ突き上がってくるなにがしかを、どうにかこうにか言葉へ当てはめて、誰に伝えるでもなくそうせずにはいられない、
というイメージなんですね。
実際にそういう形の、ヒダマルよりも高度な詩を書かれている方はブロガー界にわらわらいます。や、ヒダマルの独断と偏見ですが。
その方々は必ずしも小説や詩を意識してはいなかったりして、しかしヒダマルが感嘆する・嫉妬するくらいの文章を紡いでいるのです。
たぶん、ご本人たちは、ヒダマルがそんな風に感じてるなんて知る由もないと思います。「自分の文章はヘタクソだ」と捉えている可能性すらあります。
しかし、そんなブログを見るにつけ、それこそ言葉にできない、「あ、これは負けた。ヒダマルは文章で負けた」というきもちになるのです。
まぁ、小説を書く、ライトノベル一冊分の小説を作る、という行動を達成するにはただ文章が上手ければいいというものでもないので、嫉妬は半分、もう半分は尊さ、みたいなもんですが。
……何が言いたいのか分からなくなってきた。
ほら、構成って大事でしょ?
まとめ。
駄文ですとも、初めに言いましたからねええ。
最後まで読んでも何も得る物がなかったからって恨むのはやめて、その気持ちをポエムにしちゃいましょう。ポエマーになっちゃいましょう。
「ポエムな話。」、これからも時々顔を出すかと思いますので、痛々しさに負けずがんばってください応援しています。