気分の落差が激しい。 【心のてうが】
みなさま、こんにちは。
ヒダマルの坩堝です。るつぼ。
えーーーー前々から薄々感付いてるけどコイツは気分の上がり下がりがなかなか激しいトコありますよな。
「がんばるがんばるなんでもやれる目標はあそこ前向きにやってこーー!」のときと「無理。人間も人生も無理。死にたい」のときとの落差がちょっと大きくない? ポイントは希死念慮のやつで前者のときは3メートルくらい離れたとこで「死ねばいいのに……」ってぼそぼそ呟いてる感じなんだけど後者のときはずかずか近づいてきて「死ね! 死ね! 死ね!」って糾弾してくる感じ。近いっていうか形相が怖いんだよなぁ。大変だよアイツも。こういうこと書くということはまぁ今がそれモード。その主張に対してはどっちみち「ねー?」なんだけど。
調子のいい状態だと「目的地はあそこだろ、こうなりたいんだろ、てことはだから今はこれに力を入れていこう、つまり毎日すべきことはあれとそれ」 という頭の働かせ方をするんだけども悪い状態だと
「こ、れ…………、を、やって、なんか意味あんの?」となる。さめる。
人生には「無駄な無駄」と「必要な無駄」とがあるけど、じゃあ人生は?
— ヒダマル (@hidamarirun) July 27, 2020
みたいなことを考える。 価値観が変わるのか。価値観というか、優先順位が?
はぁ~~~~向いてないな。人生に。心臓取り出して川でごしごし洗って綺麗になったのを確認してからそのまま流して見送って帰ったら布団に倒れ込んで「ふうっ」と一息つきたい。それは幸せだと思う。
生まれ変わったら全周30㎞の円形加速器によって素粒子を超高速で衝突させたときにだけ出てきて一瞬で消えてなくなるナントカ粒子みたいなのになりたいしできれば生まれ変わることなく消えてなくなりたい。
— ヒダマル (@hidamarirun) July 20, 2020
でも最悪ではない証拠にもうこういうこと考えてる。
肉体の健康は食事運動睡眠+てうがで保持できる、では精神の健康は。三種の神器は同列に扱うとして、てうがに相当する対処はなんだろう。清めだよな。精神の清め。なんだろう。
— ヒダマル (@hidamarirun) July 28, 2020
楽しいこととか、感謝とか、貢献、報われている感覚とか?
「精神の手洗いうがい」つまり「心のてうが」、これをハッキリさせる必要があるだろう。「心のてうが」を見極めれば成長できる感覚がある。たぶん、持ってる人は無自覚に持ってるしやってるんだろう。
穢れは仕方ない、受け入れるとして、清めがないから傾くんだよ。「心臓を洗いたい」の感覚は割と的を射ている。リフレッシュか? 月イチくらいで電車に乗ってお出かけして気分を良くするノルマを課すか? 向こう三ヶ月は確定してるんだけど実は……、それ以外で。
最近よく耳にする「サードプレイス」というやつかもしれない。博多の大濠公園に行きたいなぁ。美術館でもいい。なにかこう……、「場所」だろうかやはり。しかしながら「楽しい」が足りないことを考えるとどうだろう、楽しめるのだろうか外で。保育士時代はけっこう外にお出かけしてたけどリフレッシュなんてしなかったもんな。お金使うだけだった。二の舞になる気配は濃厚にただよう。
何を与えれば喜ぶのか…………、「体力とお金をあまり奪われない、しかしある程度遠く」を求めている感じはある。
という感じで「心のてうが」を探っていこうかな、という一日でした、おしまい。