カードゲームと、好きの話。
みなさま、こんにちは。
ポケモントレーナーにして決闘者、ヒダマルです。
百合小説作らなきゃなくせして進捗がヤヴァイので、今日はサラサラっと駄文を打ってお暇します。
ポケモンカード好きじゃないですかヒダマル。好きなんですよヒダマル。文フリ福岡当日にも、高いパック買ってたし。
最近もまたカードゲーム熱が上がってきてるなぁと感じます。遊戯王もまた遊びたくなって触ってます。磁石の戦士デッキが強いんだ。なんちゃってブラックマジシャンデッキでは歯が立たない。
近々またブックオフに行って漁ってこようかな。そのためにも体調を整えねば。立ちっぱなしで延々カードを探していくので、意外と疲れるんですよねアレ。見た目以上の労働作業なので、寝不足の身体では赴けません。なにこのプロ意識。
ところで、ヒダマルは貧乏です。
お金がないくせにオマケを買ったりカードを欲しがったりしている姿を見て「文フリ東京行くとか言ってるクセしてやる気ねぇなコイツ救い難いわー」と思われる方もいらっしゃるかもなので(それはそれで事実だけど)、ちょいと改めてヒダマルの考えを語ってみようかなと思います。
「好き」の追求は大事なんです。
ヒダマルはほんっとうにお金がない時代を経験しましたが(今もないけど)(まぁ実家暮らしなので食いっぱぐれる危険も屋根がない生活も経験してない)、自分で自由に使えるお金がない状態は、人間の精神を蝕みます。
そうなると「いま、何がしたいのか分からない」という状態になるんです。仮に「したい」と考えたところで、お金がないから。考えなくなる。自分の欲求が不透明になる。
アニメが見たいのか、散歩に行きたいのか、音楽が聴きたいのか、眠いのか、お腹が空いてるのか、何を食べたいのか、それとも食べたくないのか、自身の欲求がな~んも分からなくなる。
これはそこそこ危険信号、というか危険です。
それを防ぐためには、日頃から趣味にちまちまとお金を使って「好き」を感じていくのが有効なんですね。だからヒダマルは堂々と無駄遣いをします。
無駄には「無駄な無駄」と「必要な無駄」との二種類があって、個々人にとっての後者を恐れてはダメだと。クオリティ・オブ・ライフがダダ下がりするぞと。
とまぁ、こうした工夫と言い訳を重ねてやっと維持してる肩書が「駄目人間」なので、自慢できることではないんですが。「無駄な無駄」なのに酒飲みだし。
「なんか調子が悪い」と感じたときは、小さな「好き」に無駄遣いしてみるといいかもしれません。
というお話でした。
さて、ゆりゆりするか……。