『ゲゲゲの鬼太郎』第66話感想 【究極の選択】
みなさま、こんにちは。
「死神と境港の隠れ里」を観たヒダマルです。
死神のデザインがもう明らかに原作順守でしたね。いや知らないんですが原作。なんとなくしか知らなくても「あぁ、水木しげる先生の絵だ」と伝わるのはなんでだろう、すごいなぁと。
それで言うと、ねこ娘の進化はやっぱり驚愕だったなぁ……。大人になっても、この驚きは忘れないようにしたいな。
(大人じゃなかったのか by恙牙)
ねこ姉さん回所望。
なんか、最近……。
ねこ娘の存在感が急激に薄れてるような気がする……。
バトルになっても「鬼太郎!」と叫ぶだけで大した活躍はなく、むしろ足手まといになるケースが多いという、典型的な嫌われヒロイン枠に収まりつつあるような……! 気にし過ぎかな。
ハロウィンのときみたいな、ねこ姉さん大活躍回があってもいいんじゃないかと思うんですよね。この新章自体が、ねこ娘を助けるために巻き起こってるわけですし。
ここらでいっちょ見上げ入道やがしゃどくろの回、つまり初期の頃のような、強いところ見せてほしい。
このままじゃ「鬼太郎の腰巾着」「弱いんだから引っ込んどけよ邪魔だよ……!」と思われる危険がある、ような。
【『ゲゲゲの鬼太郎』公式サイトより引用 ©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション】
出演回数が多く、人気者だからこそ生まれる問題ですかね。
究極の選択。
謎の隠れ里で過ごしていた子どもたちを解放したかと思いきや、「かりそめの永遠か真実の死か」というシビアな選択を迫っていた鬼太郎。
砂浜で苦しみながら消え、点に昇っていく魂に涙です。意外とこういう回こそが心に残ったりするんだろうなぁ。ヒダマルが小学生だったら確実に泣いてたもんな。
まなちゃんと仲良くさせとくのはズルいぜ……。一枚残った写真をごらんよ……。
【『ゲゲゲの鬼太郎』公式サイトより引用 ©水木プロ・フジテレビ・東映アニメーション】
あれだけ肉体的に苦しむ描写は必要だったか? とはちょみっと感じるものの……。例えば「隠れ里に導かれた子どもは不治の病で、哀れに思った里の主は苦しまないようにかくまっていた」などの設定があればもっと自然だったかなと。
まとめ。
名無し事件に深くかかわったまなちゃんの魂を「大した価値がない」と評価した死神、見る目がなかったなぁ。隠れ里に頼って研鑽を怠った結果だな。
次回は「SNS中毒VS縄文人」。
SNSと縄文人を結びつける鬼太郎ワールドすごい!