8月31日の話。
なんだろうな、なんでしょうね。
今回もまたてきとうに駄文を作ってなんなら画像一枚だけのっけてサヨウナラでも構わなかったんですが、今日はそれが許されない感じ。
な~んか特別な意味を持つような、そういう気配の漂う日ですよね。8月の31日というやつは。
「夏休みの終わり」であり、「夏の終わり」でもある、その明確な境目にちょみっとの寂しさを感じるような、ね。
『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズでいちばん好きな文章がですね、『エンドレスエイト』の一文
「 夏で、夏休みだった。 」
なんですけどもねヒダマル、これ凄いと思いません?
これだけの言葉でもう、あぁ、夏で、夏休みなんだな、と感じさせてくれます。こういうクリティカルな名文書きたいですよ本当。
ちなみに『ハルヒ』のスタイルをアマチュアがやると「読者に語りかける形の一人称ワケワカラン」「一人称と台詞が混同されている」なんて揶揄されがちですが、ヒダマルはぜんぜんOKだと思います。「読者に半歩寄り添った一人称」好きですよ。なんならもっと増えてほしい。
『星のお姫様』で普通にやってますし。
『野女と美獣』でだって所々に入れてますし。
いやまぁ、当時は「西尾維新もどき」「キョンもどき」が応募作から溢れかえっていたなんて話も聞きますけど、でもさ、これは「キョンでやるからキョンもどきになるんだよ」ですよヒダマルから言わせれば。
「キョンの語り口」と「物語の語り方」は別物であって、同じ組み合わせでやったらそりゃ劣化版にしかならないだろうよと思います。
まぁ、別口でやろうとしてもキョン並のボキャブラリー出すのは大変だろうけど。そんな神業は期待しなくていいからみんなもっとやればいいのに。
はい、夏を見送る郷愁から創作論へ華麗なる流転を遂げた今回のお話、まるで移ろいゆく季節のような儚さを感じさせましたね。
という取って付けたようなオチで、お開き。