ヒダマルのアニメ日記。

毎日午後8時に更新するアニメ感想ブログ。アニオタ・元保育士・隠れアスペルガーと、三拍子揃ったヒダマルがお送りします。

モーリーのメモ

~悪人のいない終末世界~ 『少女終末旅行』のヒダマル分析。


 年の瀬も近づいてきたことですし、ヒダマルが観た今季アニメの感想を一つずつまとめていきましょう。
「俺も観たぜ」という方も、「何それ美味いの?」という方も、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。第22回電撃小説大賞一次選考突破のヒダマルアイによる「アニメ分析」ですよ。

 

 さて『少女終末旅行』ですが、ヒダマル的には「今季ナンバー1」です。あと、間違いなく、今期アニメの中で最も声優が少ない作品でした。最終回では急に増えたけど。

 レギュラーの水瀬いのりさん・久保ユリカさんに加え、たまに出てくるゲスト声優が超豪華でしたね。エンドロールで「花澤香菜の無駄遣いだっ!?」と叫ばされるのはこの作品の他にないでしょう。

 


悪人のいない終末世界。

 滅びゆく終末世界で、2人の少女が共に旅を続けるお話ですが、この世界観の秀逸な点は「悪人がいない」ことだと思います。

 主人公のチト&ユーリ以外の登場人物と言えば「カナザワ」と「イシイ」のみですが、あんな世界の中でも相手への優しさを忘れていない人間しかいません。特にカナザワなんて男ですよ。
 これって、スゴイことだと思うのです。


 作者としては、いくらでもダークな展開に運べる世界設定だったはずです。

 例えば、

 カナザワが裏切ってチトを襲う~~容赦なく撃ち殺したユーリは割り切ってるけどチトは複雑~~とか、

 イシイが裏切ってケッテンクラートの部品を横領~~騙されているのではと感じる2人だけどイシイははぐらかすのみ~~ついに悪事がばれるもイシイは既に飛行機の中、しかし罰が当たって空中分解~~とか。


「暴走する機械」とか「巨大ロボ兵器」とかは出てきましたが、あれら自体に善悪の区別があるわけではなく、兵器なんかは悪意ある人間の手に渡って初めて凶悪な物になる、いわば「道具」に過ぎません。


『カードキャプターさくら』の世界観とも共通するのですが、本来「悪人がいない」というのは物語を前に進めるにあたって結構な足枷です。「悪いヤツが出て来て、そいつをやっつけて成長・前進する」というバトル漫画的方策を取った方が圧倒的に分かり易いですから。

 ロードムービーでは特にこの形式が有効で、『最遊記』『FF10』『指輪物語』なんかを考えると理解し易いですね。「目的地へ向かう強い意志」と「旅路を阻む障害」という図式です。そういえば『ワンピース』もか。

 

 しかし敢えてそれを避け、「物悲しい空気」や「哲学遊び」を話に絡めつつ推し進めていくこのやり方は、初めから「悪いヤツは絶対に登場させない」「これ以上絶望させない」と決めて創作しているのだろうと分析します。

 ですから、最終話でユーリが巨大ぬこに食べられた時も、ヒダマルはそんなに心配していませんでした。「なんだこの展開ッ!?」とは思ってましたが。


 ヒダマルは原作を読んではいませんが、たぶん漫画の方でも「悪意ある他人」が出てくることはないのではと予想します。
 いつまでも安心して、のんびりまったり観ていられるアニメ(漫画)であって欲しいものです。

 

「ぬこ=神」説。

 第十一話で、チトがぬこと像の接点を感じるシーンがありました。最終話での「ぬこ族」の行動様式や目的も、神話の中の「終末の獣」や「最後の審判」を彷彿とさせるものでしたし。

 ここで疑問が残るのは「ぬこ族=神」なのか? という点ですね。
※超自然的な「神様」ではなく、「信仰の対象」くらいに捉えて論じます。


 とりあえず、ぬこ族が生物である可能性はとっても低いです。有機生命体は火薬もオイルも分解できませんので。つまり魚を守っていたヤツと同じく、ぬこも機械であるのだと推測されます。

 伏線を分析すると、あるいはあのぬこ族は、動画の女子高生が研究していた「自律進化した機械」なのかもしれません。
 人間が意識的に製造した存在であれば、その「ありがたみ」や「畏怖の念」は作った企業や発明した人間に向くと思われます。しかし、寺院やその周辺にて人々が神と崇めていたのは「ぬこ」そのものでした。たぶん。

 自然発生的に、突如としてああした「浄化機関」が生まれたからこそ、その感謝が「信仰」という方向へ向かったのではないでしょうか。

 

耳に残る音楽。

 あと、なんといってもホラ、このアニメは音楽が良いッ!!
 OPもEDも耳に残って気持ち良いのはもちろん、BGMや特殊ED、ラジオから流れてくる歌までも美しいという力の入れよう。
 音楽作ってるのは『Re:ゼロから始める異世界生活』の方なんですね。そっちはヒダマル、実は見たことないんです。見ます。

 OPの隠れ歌詞も話題を呼びましたが、こういった遊び心を片時も忘れない姿勢が大好きです。

 

かけがえのない人の、かけがえのなさ。

 あと、ちょっと個人的な蛇足ですが。

 最終話、相棒を巨大ぬこに食べられたチトが、ユーリがいなくなることを恐れて涙ながらに駆けるシーンがありました。
 しかして。
 カナザワだってそうですが(おそらく)、心から愛を感じる、本当に大切な、かけがえのない誰かが急にいなくなったとしても、意外と人って生きていけるもんです。
 ヒダマルの感情が冷たいとか、相手への想いが足りてないとかではなく。本当に、そういうのは関係なく、意外と、生きていけるもんです。

 そんなもんです。

 そういうもんです。


 だからって、「大事な人は要らない」とか「誰も居なくていい」とかってことではないんでしょうが。
 ……ないんでしょうか?

 一人なら一人でもいいと思うんですが……


 …………『小林さん家のメイドラゴン』でも見よ。